笹子トンネル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウオッちず Google Map 笹子トンネル
笹子トンネル(ささごトンネル)は、山梨県大月市と同県甲州市の間にあるJR中央本線下り線のトンネル、または、中央自動車道のトンネル。
同区間のJR中央本線上り線のトンネルは新笹子トンネル(しんささごトンネル)、国道20号のトンネルは新笹子隧道(しんささごずいどう)、山梨県道212号日影笹子線(旧国道20号、甲州街道)のトンネルは笹子隧道(ささごずいどう)と言う。
以下、各トンネルについて詳述する。
目次 |
[編集] 中央本線 笹子トンネル・新笹子トンネル
東日本旅客鉄道(JR東日本)中央本線の笹子駅~甲斐大和駅間にあるトンネル。
笹子トンネル (全長 4,656.2m 単線。下り列車専用)
- トンネル内はレンガ及び石だけで造られている。完成当時は日本最長のトンネルであった。また、トンネル入り口の額字には「因地利」(笹子側、伊藤博文著)、「代天工」(甲斐大和側、山縣有朋著)と書かれている(どちらも右書き。意味は「因地利」が「地の利に因って」、「代天工」が「天に代わって工事す」と解釈できる)。
新笹子トンネル (全長 4,670m 単線。上り列車専用)
- 沿革
- 1902年(明治35年) - 笹子トンネル完成
- 1903年(明治36年)2月1日 - 大月~初鹿野(現在の甲斐大和)間開業時から供用開始
- 1965年(昭和40年) - 新笹子トンネル完成、供用開始。従来の笹子トンネルは下り列車専用、新笹子トンネルは上り列車専用とする
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)に継承
なお、前述したように1931年(昭和6年)に上越線清水トンネル(総延長9,702m)が完成するまで、笹子トンネルは日本一の長さを誇るトンネルであった。
1911年(明治44年)に制作された『中央線鉄道唱歌』(作詞: 福山寿久、作曲: 福井直秋)でも、笹子峠とトンネルは次のように歌われた。
- 16.いで武士(もののふ)の初狩に 手向けし征箭(そや)のあとふりて 矢立の杉も神さびし 笹子の山の峠路や
- 17.横に貫くトンネルは 日本一の大工事 一万五千呎(フィート)余の 常夜の闇を作りたり
[編集] 中央自動車道 笹子トンネル
中央自動車道の大月ジャンクション(山梨県大月市)~勝沼インターチェンジ(山梨県甲州市)間にあるトンネル。
全長: 下り4,717m、上り4,784m (上下線ともに2車線)
排気ガスの増加によるトンネル内部の空気環境悪化を防止するため、最急勾配は2%となっている。
通常、同トンネル内の制限速度は時速70kmとしている。
- 沿革
[編集] 国道20号 新笹子隧道(トンネル)
全長 2,953m 片側1車線 完成当時、道路トンネルとしては日本第2位
- 沿革
戦前までは甲府と東京を結ぶ一級国道は未整備の笹子峠越え国道20号から御坂峠越えの旧国道8号(現国道137号)に変更されていたが、戦後の1952年(昭和27年)制定の新道路法では再び国道20号に変更され、難所のトンネル貫通が求められていた。「富める山梨」を掲げた天野久知事時代に野呂川総合開発と並ぶ事業として計画され、当初は県債財源の有料トンネル案であった。1954年(昭和29年)には調査測量が開始されるが県財政の悪化より事業は危ぶまれるが、天野知事の運動もあり、翌昭和30年10月には建設省の直轄工事として採用され着工し、日本道路公団の設立に伴い公団直轄事業となった。総工費は12億8,500万円。昭和32年12月に完成し、1958年(昭和33年)12月8日に日本道路公団が管理する一般有料道路「笹子トンネル」として供用開始。1971年(昭和46年)4月24日には償還完了により無料開放。
トンネルの開通や国道20号の舗装整備により従来の国道8号線に比べて時間的に短縮であることから、県内流通機構にも影響を与え、特に果樹や牛乳等を東京の市場への出荷する際には中央本線による貨物輸送が主であったが、トラック輸送に転換され果樹栽培や酪農、観光産業の振興にも繋がった。
- なお、下記の旧国道に笹子隧道がある為、このトンネルの額字には「新笹子隧道」と書かれている。
[編集] 山梨県道212号日影笹子線 笹子隧道
全長 240m 旧国道20号(甲州街道)のトンネル。入り口の額字には「笹子隧道」(実際の題字は右書き)と書かれている。
- 沿革

